イギリス留学の近況報告兼備忘録。
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パリ旅行3日目(長くなったので前編後編に分けた)Part1、
パリを流れるセーヌ川に浮かぶシテ島にあるノートルダム
大聖堂とマリーアントワネットが処刑されたコンコルド広場
に行ってきました。
今回は行った場所が名前知っている程度だったので、自分
の勉強も含めて歴史とか有名どころとか説明的になっちゃっ
たかも。みなさんもご一緒に勉強しましょ!
(という割には中途半端な説明かも・・・)
パリを流れるセーヌ川に浮かぶシテ島にあるノートルダム
大聖堂とマリーアントワネットが処刑されたコンコルド広場
に行ってきました。
今回は行った場所が名前知っている程度だったので、自分
の勉強も含めて歴史とか有名どころとか説明的になっちゃっ
たかも。みなさんもご一緒に勉強しましょ!
(という割には中途半端な説明かも・・・)
セーヌ川とノートルダム大聖堂。シテ島。
この地域一帯は「パリのセーヌ河岸」の名で世界遺産登録され
ている(1991年)。
ノートルダム大聖堂はローマ・カトリック教会でゴシック建築
を代表する建物のひとつ。1163年着工、1215年完成。
ディズニーアニメにもあった「ノートルダムの鐘」の原作、
「ノートルダム・ド・パリ」(ヴィクトル・ユーゴー,1831)
という小説の舞台でもある。
1804年にナポレオン・ボナパルトの戴冠式が行われた。
(またまた by Wikipedia)
ゴシックゴシック。人の彫刻だらけ。それぞれ違う形している。
3つの扉の上部も人で埋め尽くされてる。
4人台座に立って並んでるうち一番左の人だけ人間台座にしちゃっ
てるよ!!
(電器とかぶったけど)バラ窓のステンドグラス。綺麗~
コンコルド広場のオベリスク。
続いてコンコルド広場へ向かう。
コンコルド広場はルイ15世の時代に作られ当時「ルイ15世広場」
と呼ばれていたが、1789年に勃発したフランス革命以降は、
「革命広場」と呼ばれるようになる。革命期にはルイ16世、
マリー・アントワネットが処刑される。1833年にはエジプトの
ルクソール神殿から高さ23メートルのオベリスク(神殿に
建てられた記念碑)が贈られコンコルド(調和という意味、
1830年に公式名称になる)広場の真ん中に聳え立っている。
現在はその名の通り平和な広場で、ここからシャンゼリゼ
通りとルーブル美術館につながるチュイルリー公園と続いて
おり観光&デートにピッタリな場所。
すぐ近くには観覧車や出店もあり一息つくにもピッタリ。
一息ついてきました。生クリームたっぷりのワッフル!美味っ
*******************
(Part2へ続く・・・)
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プロフィール
名前:
きう
職業:
元・学生
趣味:
映画と旅
イギリス留学の思い出日記。
(2005年8月~2006年6月)
海外旅行の日記もあります。
コメントいつでも大歓迎!
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